SSブログ

ミャンマーに残る地雷の影 [地雷]

朝日新聞に地雷についての記事がありました。紹介します。

政府と少数民族武装勢力との和平交渉が進むミャンマーで紛争中に埋められた地雷の被害が
後を絶たない。
どこに埋められたかの記録はなく、将来、難民が帰還する際の障害になりかねない。

ミャンマー・カレン州と国境を接するタイ北西部メソト。メータオ・クリニックは。国境を越えてやって
くる避難民のための無料の診療所だ。運営費は国際NGOなどの寄付によってまかなわれており、
年間約16万人の患者を受け入れている。

「まだ少し痛い」。
クリニックの義足科でマーウインチーさん(37)は初めて作る義足の調整に苦心している。

昨年7月カレン州南部のウォーレー村で竹を採りに森に行った際、地雷を踏んだ。
生計を立てるため4年以上も通った森だという。

「ドン」という音とともに意識を失った。
ミャンマー側には適切な治療施設がなく、タイ側の病院へ運ばれた。
気づいた時には左足の膝から下がなくなっていた。

森には地雷が存在することを示す標識はなかった。「村の人は皆、森にはもう地雷は無いと言って
いた。死ななかっただけましです。」
新しい義足が出来たらまた森へ行って仕事をしたいという。「それ以外に収入はないから。

義足科は2000年にできた。年間約250人が無科で義足を作ってもらうために訪れる。
そのほとんどが地雷の犠牲者だ。
見習いとして働くタンゲ―レイさん(20)もその一人11年4月カレン州内で木の伐採中に地雷を
踏んだ。

大きな声で叫び、仲間を呼んだ。「数分間は何が起きたかわからなかった。」
両足の膝から下を無くした。「地雷で被害を受けた人がたくさんいる。多くの義足を作れるよう
になりたい。」と話す。

ミャンマーの和平交渉
ミャンマーでは1948年のイギリスからの独立直後から、少数民族武装勢力と政府軍の間で
内戦状態が続いていた。2011年民政移管の後、17の武装勢力のうち14が政府と停戦で合意し、
和平交渉を続けている。
少数民族の中では最も長く、1949年から独立闘争を続けていた。カレン民族同盟(KNU)は12年
1月、停戦合意を結び和平交渉に行った。

地雷の問題はとても残念に思う。



スポンサーリンク



タグ:地雷の被害
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。